「やればできる、やらねばできない」
「当たり前のことだが、どれほど多くの人が理屈をこねまわし、やりもしない前からギブ・アップしていることか。やならくちゃ何も始まらないのは、不滅の真理なのに」
相田みつをも「できなかった、やらなかった、どっちかな?」と聞いています。
「でもね」「だってさ」という言葉は、出来ない理由を考えた結果です。中には理路整然とできない理由を話す人もいます。このような人は「出来ない理由」ではなく、「やらない理由」を述べているのでしょう。
もちろん、これが悪いとは言えません。ただ言えることは「挑戦し続ける」熱い気持ちがあるか否かではないでしょうか?