受験の思い出(その1)

中学校は、新宿区立東戸山中学校を卒業した。
現在、東戸山中学校は近隣の大久保中学校と合併して新宿中学校になったそうだ。
高校は、都立高校を目指していたが、滑り止めに私立高校を受験した。
当時、都立高校の合格発表まで入学金納入を待つ私立は、海城高校城北高校だったので、海城高校を受験した。
結果的に都立高校に進学した。
当時は学園紛争のなごりがあって大学の附属高校であった都立大学附属高校は、その影響を受けて、誤解された自由がまかり通っていた。
自分も誤解された自由を真に受けて、ほとんど勉強もせず大学受験に臨んだ。

志望校は、一期校の北海道大学であった。

北大を選んだ理由は、南極でオーロラが見たいからということだ。その考え方は


北大入学⇒大学院で低温科学研究所で学ぶ⇒低温の学者になる⇒南極観測隊員に選ばれる⇒南極に国費で行ける⇒オーロラを見る

こんな感じであった。夢はあったが、勉強していなかった。正確に言うと、相対的に好きな数学、物理、日本史、英語は多少は勉強したが、これら以外、すなわち、北大の入試科目の残り科目、国語、化学、世界史または地理は、興味も無く、全く勉強していなかった。

合計点でどうにかなるさ・・・という甘い考え方で札幌に向かった。

ホテルは、グランドホテル、試験会場まで歩いて行ける。

試験前日、下見に行った。行ってみると、恐ろしく寒く、かつ道路の雪が固まって、アイススケートリンクのようだった。何度も何度も滑りながら会場まで行った。
大学構内も同様で、歩いていると、思いっきり転んで、腰を打った。
それを見ていた大学生が、救助してくれて、学生寮で休むよう言われた。
その学生寮、今は新築されたが、その当時は木造で隙間風が入る「けいてき寮」と言った(漢字を思い出せない)
結果的に夕飯までおごってくれ、ついでに未成年でありながら、飲んではいけない酒までも飲んだ。
気づくと、朝、下見のはずが試験会場に寝泊りしたこととなった。

人生初の大学受験は、二日酔いの中で二日間に及ぶ戦いを戦った。

結果は・・・「残念だったな〜」と救助した大学生から電報をもらった。

滑り止めにと思った大学は、二期校の岐阜大学

岐阜大学という名前を聞いたこともない大学を受験した理由は、見知らぬ土地に住むのもいいかな〜程度の軽い気持ちだった。
しかし、その軽い気持ちは見事に打ち砕かれた。

この季節、もう30年以上も前の大学受験当時を思い出す。

結構苦しんでいた思い出があるが、その気持ちを明るくしてくれた音楽は、アバのダンシングクィーンだった。今でも、CDでよく聞く音楽だ。

続きはまた〜〜〜っ