最近、ISO規格要求事項の解釈が少ないと思いつつ、今日も番外編です。
先日、息子が通う中学校からお知らせが届いた。冒頭に季節の挨拶があった。その内容は、「梅雨の季節になり、じめじめとした日々が続きます。鬱陶しい日々が続くと、気持ちが落ち込んだり、イライラすることも多くなります」とあった。
我が家で夫婦でこの挨拶文に対して、違和感を覚えた。
「たかが天候くらいで、心を左右されてたまるか!この先生は何を考えているんだ。心が弱い子供を育てているのか!」と違和感と言うよりも怒り。あるいは憐れみのような感情であった。
「だったら、晴れたら前向きで明るくなるのか?」
心を決めるのは天候でもなく、テレビでもなく、他人でもない。自分の心は自分が決めているのだろうと思う。
依存心の強い人間は、外界に自分を委ねすぎているので、外界の変化に弱い。
少なくとも自分は、その弱い心を意識しつつ、少しでも強く生きたいと思う。

今日は駅までの途中で土砂降りの中、紫陽花を見つけた。小さな紫陽花であったが、雨粒に打たれながら、美しく可憐な花を見せてくれた。土砂降りと紫陽花は一幅の絵になっていた。梅雨もまたいいもんだ。夏の暑さも夏らしくて好きだ。晩夏も過ぎ行く夏を惜しみ思い出ししみじみして好きだ。秋は空気が凛としてくる。冬は物事に集中できる。春は希望が満ちている。