今日は面白いイベントがあった。某大手化学メーカーの工場で、行政、市民、事業者の三者が集う環境対話集会である。この対話集会ではファシリテーターとして、2名が参加していた。事前にカリキュラムを見て、とても期待した。期待した内容は、必ずしも利害関係が一致しない行政、市民、事業者の対話をファシリテーターがいかにまとめ、合意を導き出すか出会った。
対話集会の前に広大な敷地の工場をバスで見学した。化学工場を見たのは初めての経験であったため、見るもの全てが新しく感じた。複雑に入り乱れたパイプであるが、複雑な設計図をベースに構築されているのだ。環境にも安全にも十分な配慮がされ、工場内は整然としていた。
その後、工場から環境への配慮の説明、行政から環境行政の説明があり、短時間でよく整理され、理解しやすい内容であった。
さあ、ファシリテーターの出番だ。
「初めにルールを決めましょう。発言する場合は挙手してください。時間が限られているので発言は手短に、一人2分以内でお願いします。他人の発言の揚げ足取りはやめ、建設的な発言をして下さい。時間切れで積み残しがある場合は8月にも同様の集会があるので、そちらに回して欲しい。以上承認の頂けますか?」
ここまでは、ファシリテーションの教科書どおりだったと思う。
市民(自治会長、消費者団体代表、学生、市役所環境担当者等)、行政、事業者から、行政、市民、事業者に対する意見、質問が出され、これも各人が紳士的にかつよく考え方質問であった。
そして、ファシリテーターの2名は多岐に渡る意見を整理するので、1〜2分欲しいと言った。これも問題ないと思う。
なお、ファシリテーターは意見が話されると同時に、意見をワードで打ち、それがプロジェクターで参加者全員が見られるような工夫をし、整理した意見も同様にプロジェクターで見ることができた。
そして、意見、質問を大胆にも3つの区分した。
その後は、意見、質問に対して、大半が行政が答える場面となった。
5時に終わった。ファシリテーションって難しいとの思いだけが残った。
そもそも、対話集会の目的は何だったのか?到達点が見えていなかった。単なる住民説明会のように思えた。
自分は昔、環境アセスメントという行政の仕事をしていた。環境アセスメントでは、関係地域として事業が環境に影響を及ぼすと想定できる範囲を設定し、その範囲の住民、事業者に開発事業の説明や環境に及ぼす影響の説明をし、質疑応答を行い、広く住民等の意見を聴取するものであった。
しかし、時として、この説明会は修羅場になった。特に、環境意識が高いと言われる地域では、あるいは社会的な注目度の高い事業では、深夜にまで及ぶものもあった。
その当時は、ファシリテーションという言葉すらなかったが、ファシリテーションという言葉を知り、この住民説明会にファシリテーターが参加していたら、どうなっていたかを知りたかった。
開発を進めたい事業者、開発を差し止めたい反対派住民、この対話を促し、お互いが納得できる結論を中立的な立場でファシリティトとする。かなり難しいとは思うが、だからこそプロのファシリテーターの活躍の場であろう。
そのような意味で今日の環境対話集会は、とても楽しみにしていた。しかし、このような場でのファシリテーションがいかに難しいかという思いが残った。
今日の状況を考え、自分がファシリテーターならどうするかを考えてみたくなった。