5月27日は、我が国が独立と平和を守りぬいた記念すべき日だ。
南下政策を取り続け、遼東半島の要所である旅順を清国から租借し、ロシアは我が国に対する脅威を一層強めた。我が国は対抗措置として日英同盟を結んだが、大国であったロシアの圧力は我が国の独立を脅かす存在となっていった。そして、国交断絶、1904年2月10日に宣戦が布告された。
この戦争の決着をつけた戦いが、日本海海戦である。バルチック艦隊とは、日本が付けた名称で、正式には第2太平洋艦隊と第3太平洋艦隊の連合艦隊である。
バルチック艦隊は、総勢38隻の艦隊であったが、日本海海戦によって、20隻が撃沈され、結果的にウラジオストックに帰還した船は、わずか3隻の小型船であった。
当時の世界情勢は欧米列強が、弱小のアジア、アフリカの諸国を植民地化するということが、世界の常識であり、アジア、アフリカ諸国はこれに甘んじ、国としての独立を果たすことができた国家は少なかった。このような世界情勢下で、我が国が最強国家であるロシアの最強艦隊であるバルチック艦隊を撃破したことは、我が国の独立を堅持しただけでなく、その当時の世界の常識に挑戦する勇気をアジア、アフリカ諸国に与える大きな功績があったと思う。
この戦いのより、決定的な勝利を収め、1905年9月のポーツマス講和条約となる。
今日はこのように世界史の中でも特記すべき重要な日でもあるが、大東亜戦争以降、戦前の全てを否定され、歴史認識すら国家として保持するという当たり前のことすら、外圧によって抑制され続けてきた結果、この日を祝日とするという気概を失っているように思う。
今日は全国各地で記念式典が開催されており、これらを契機に今一度、我が国の歴史をイデオロギーや中国・韓国のウソから逃れて、冷静に振り返ることで、誇りある民族であることを再認識する日にしたい。

この戦いで軍人としての使命を全うした多くのロシ軍兵士、日本軍兵士に心から哀悼の意を表すると同時に冥福を祈りたい。

今日、我が家の玄関には日の丸が掲げられた。