2月28日が最終列車になるそうだ。東京と九州方面を夜通し駆け抜けてきた「あさかぜ」「さくら」が廃止される。飛行機、新幹線に比べて決して安くもなく、時間もかかる。安い、早いがもてはやされる時代には残ることができなかったか。残念!
ブルートレインといえば、思い出が沢山ある。自分は中学生で上京した。その頃、両親は北九州の小倉に住んでいた。夏休み、冬休み、春休みの帰省は本当に待ち遠しかった。
帰省はいつもブルートレインだった。
夕方〜夜にかけて東京駅を厳かに静々と出発し、徐々にスピードが上がる。「ガタン、ゴトン」という線路の継ぎ目を越える音、時々きしむような音、「明日の朝は、家だ!」と思うウキウキした気持ち、そろそろ列車内の環境になれた頃、横浜駅到着、出入り口でシュウマイ弁当とお茶を買う。席に戻ると、まだベッドになっていない。目の前には、おじさんやおばさん(中学生から見ると高校生でもおじさん、おばさんに見えた)がいる。小柄で幼かった自分は、決まって聞かれた「僕小学生?どこまで行くの?へ〜一人で行くんだ。エライね]
・・・・会話すればするほど、喜んでくれ、お菓子を沢山買ってくれた。
そのうち、車掌さんがベッドメイキング、3段ベッドの一番上が大好きだった。
知らないおじさん、おばさんに「おやすみなさい」
「ガタン、ゴトン、キッキー」ふと目が覚める。窓の外を見ると、大阪、神戸、岡山、広島のどこかだった。広島を過ぎる頃、海も見えてくる。そして徐々に空が明るくなる。
「おはようございます」と昨晩お世話になったおじさん、おばさんに挨拶。
下関で機関車を換えるため、長い停車時間、この時間は駅ホームの洗面台で顔を洗うと気持ちいい。朝のすがすがしい空気の中、冷たい水は、長時間の列車の揺れの疲れをリフレッシュ。下関を出発、この旅も終わりに近い。そして、クライマックスだ。
あっという間に海底トンネルに突入だ。関門トンネルを通るといつもワクワクした。海の底深くを列車が走る光景をイメージするとすごいと思った。ワクワクしていると、門司に到着。しらないおじさんが降りた。「さようなら、ありがとうございます」
門司の次は小倉だ。小倉で降りた。しらないおばさんに「さようなら。ありがとうございます」と言うと「また寝台列車で合おうね。楽しかったよ。お礼にお菓子あげるよ」
早朝の小倉駅に降り立つ、夜行寝台列車は甲高い警笛音を残して博多に向かった。
駅前からのバスの出発時間を待っている。
帰省した途端に帰りの夜行列車のことを考えていた。

思い出が一杯の夜行列車が無くなるんだ。少し寂しい。