事実と認識は違う

認識を巡って議論しても意味がない。
人は自分の都合のよいように認識したがるのが当然だ。
従って、相手の認識と自分の認識が違うからと言って、お互いに対立しあい、目くじらを立てても意味がない。
認識が違うことを大前提に、事実を客観的な証拠で確認しあうことが重要だ。
客観的な証拠とは、意見や妄想、フィクションではなく、一次資料、すなわち、何かを出典にしたものではなく、そのものが原資料であるものだ。
日本は南京で30万人虐殺したはず・・・客観的証拠がないため、検討の価値もない
一次資料があれば、その資料を分析すればいい
日本は朝鮮半島から20万人の女性を強制連行し慰安婦にした・・・客観的証拠は?

これらの客観的証拠を示すのは、あったとする立場だろう。無いとする証拠は不可能だ。

このようなことは、通常の頭脳があれば分かることだが、あえて客観的証拠を示さず、避難を繰り返し、日本国および過去、現在、未来の日本人を貶める目的は何だろうか?

そろそろ冷静に考える時期かもしれない。