第二、第三の通州事件とならなければいい

昭和24年(1949年)に建国された中華人民共和国で、日本国旗が損壊され、日本大使館、日本企業が襲撃されている。怒り狂ったデモ隊を見ていると、昭和12年(1937年)7月29日に発生した通州事件を想起させる。

通州事件とは、日本人260人が日本人の感覚では想定できない残虐な方法で殺戮された事件であった。その残虐性はあまりにも酷く、本来は我が国の歴史教科書にも明記し、認識を高める必要のある事件であった。

あのデモ隊の異常さは、まさに中華人見共和国滞在の日本人が、第二、第三の通州事件の犠牲者になる可能性を示唆している。

中華人民共和国大使であった丹羽氏は、商売第一であったのだろう。その結果がこのデモ隊であったとしたら、単に人口が多く、日本製品の市場としての魅力を打ち消すことと考えられる。

確かに安価な労働力、購買力のある一部の富裕層は魅力的な市場かもしれない。その市場から本来の商取引ができる市場として、インド、中近東、アフリカ、南米の開発に本腰を入れる時期ではないだろうか。

第二、第三の通州事件が発生してからでは遅い。