絶対安全?

中部電力浜岡原子力発電所が、政府・民主党によって停止の圧力を受け、とうとう停止した。

安全が確保されない限り、運転再開を政府・民主党が認めることはないだろう。

ここで疑問がある。それは、何をもって安全と評価するのかである。
市民政治家の安全の評価基準、原子力専門家の安全の基準、地震学者の安全の基準等、様々な評価基準を今後、どのようにすり合わせるが難しそうだ。

ところで、政府・民主党が「絶対安全」という考え方で浜岡原発の停止の圧力をかけたようだが、この世に絶対安全なんてあるのだろうか?

国際安全規格では「安全」を以下のように定義している。

「受け入れ可能なリスクから解放されていること」

すなわち

「受け入れ不可能なリスクが存在しないこと」あるいは「許容可能なリスクであること」である。

さて、浜岡原発に限らず、あるいは原発に限らず

どんな地震でも、どんなに高くかつ破壊力のある津波でも絶対に冷却機能を喪失せず、安全に操業が可能な施設があったとして、その施設から生産される製品(電気等のエネルギーを含む)の価格が市場価格の数十倍であったら、果たして市場性があるのだろうか?

あるいは、どんな自然災害でも大丈夫とは、どんな自然災害で、その規模はどれだけと見積もるのだろうか?

また、仮にどんな自然災害でも大丈夫と言っても、巨大隕石が落下する確率はゼロではない。

どこまでのリスクであれば、受け入れるのか?

以前、知り合いから聴いた話

40代のサラリーマンがジャンボ宝くじを購入し、3億円を手にするまでの時間が発売日に買ったとして、約3ヵ月間
一等前後賞に当たる確率と、その3ヵ月間で死亡する確率を比較すると、死亡の確率が高いそうだ。

しかし、このサラリーマンは、どちらも小さな確率であるが、死ぬと思っていないだろう。しかし、死よりも確率の低い当選は望んでいる。

この世には絶対安全は存在しないと思う。

その場限り、場当たり的、市民感覚、国家意識の欠如、外交感覚ゼロ・・・

色々とマスコミもにわか保守派もこの政権を誕生させ、活かしてきた責任を実感するべきだと思う。