テレビを見ていると秋田における小児連続殺害事件で、最初の殺害を事件ではなく、事故として取扱った地元警察に対する批判として、ベテラン刑事の「経験に裏付けられた勘の欠如」を指摘していた。「経験と勘が欠如」しているので、少しでも客観的な証拠で推論を進め、その推論を覆す証言があっても、「経験と勘が欠如」しているため、それらを受け付けることができない、ある意味、そこで思考停止をしていたと思える。
官僚組織の最たる警察組織では、大学卒業時に受験する国家公務員試験で多少難しい試験を合格し、ついでに東大などの旧帝大を出ていれば、同僚の警察官に比べて圧倒的なスピードで昇進するらしい。「経験と勘が欠如する」上司が、「経験と勘」で捜査を進めるベテラン刑事の管理職になったら、きっとこんな事態が起こるのだろうなと思った。
今回、警察に対する批判が厳しくなることは想定できる。
しかし、本質的には殺害した張本人である母親が、子供を「疎ましくなったから殺害した」という考え方を問題視すべきであろう。
親は子供を無条件に可愛いと思い、自分の命を削ってでも子供を育てたいと思うことは、動物としての人間の本能であろう。その本能よりも、自分の欲望を優先するという考え方、これを厳しく糾弾すべきだろう。
こんなニュースに接するたびに、「ゆとり教育」「人権優先」「戦前教育の全面的な否定」「自由奔放、義務感の欠如」「他人に迷惑をかけなければ何でもしていい」「子供の人権」・・・等の戦後教育の場面が頭をよぎる。
日本はどこに行こうとしているのか。