メールは本当に便利な道具だと思う。しかし、便利な反面、ある種の危うさを感じる。
昔は、相手に何かを伝えたい場合、会って話しするか手紙で伝えた。この場合、日単位で物事を考えていただろう。
その後、固定電話が普及した頃、緊急の電話であっても相手が不在であれば、伝言したり、時間を変えて電話した。
携帯電話も相手の都合で通話できないことは当然にあり、伝言を残すことで意思は伝わった。
その後、メールというとても便利な道具は目覚しいスピードで普及した。
メールは本当に便利だ。相手が不在であろうが、忙しかろうが、一方的に自分の意思を伝えることが可能だからだ。
しかし、そのうち、メールに対する相手からの反応が無いと、自分が無視された、軽視されたと被害者意識を持ち始め、結果、人間関係を悪くする。
相手側の都合にも様々なものがあろう。自分のように出張していれば、メールを見る環境に無い場合、パソコントラブルで見たくとも見れない場合、これらの場合を想定することは発信者には難しいだろう。しかし、お互いに信頼関係があれば、返信が無い理由が何であれ、何らかの理由があるのだろうと想像し、待つことができよう。
文字でしか意思を伝えることができないこともメールの危うさだと思う。
便利な道具にしか過ぎないものを、万能の道具のように勘違いすることで、様々な悲劇が生じているように思う。