JALジャンボ機の墜落事故の後に日航の社長に就任され、信頼回復、完全民営化に尽力された山地進氏がご逝去された。日航機の事故は昭和60年8月に発生した。その当時、入社3年目であり、インドネシアの東部ジャワにあるマランという田舎町で海外研修を受けていた。
その当時、宿舎にあった小さなテレビでインドネシア語のニュースで意味は分からなかったが、日本航空機が墜落し、多数の犠牲者が発生し、奇跡的に二人の女性が生還したということが画像のみで知ることができた。海外研修を印象付ける事故であった。
その事故後に就任された山地元社長がご逝去され、個人的に感慨深いものがある。合掌