kosakayuji2005-03-17

野田よしひこ氏をご存知でない方は少ないであろう。野田氏は船橋市に在住の衆議院議員民主党)である。前国対委員長でもあった。
自分は、選挙権を得てから一貫して自民党の公認あるいは推薦候補者に投票し続けてきた。今日野田氏の講演会を聞く前も自分は自民党の支持者であると信じていた。
しかし、最近の自民党は党としての政策の理念を感じられなくなった。過去は何となく国家の繁栄が国民の繁栄であると思っていたので、分かったようなフリをしていたのかもしれない。
今日の朝6時半に開始された船橋市中央倫理法人会での講話者は野田氏であった。非常に感銘を受けたので、ここに紹介したい。
野田よしひこ氏 昭和32年5月20日生まれ
昭和35年10月(3歳4ヶ月10日)浅沼事件で衝撃を受ける
その後、ケネディ大統領、その弟の暗殺報道に接し、政治家とは命がけの職業であると感じる。しかし、ワイロ、カジノ賭博なども話題になり、政治家は金儲けという印象を持ち、そこに政治に対する関心が徐々に高まる。「何かおかしいぞ」ということか。
大学卒業後、マスコミへの就職を希望するが、松下政経塾へ入塾、松下政経塾は新聞の募集欄で知る。この新聞募集欄との出会いが野田氏の人生を大きく左右した。松下幸之助氏との出会いである。
5年間の塾生生活を経て、その後地元船橋でアルバイト、家庭教師で生計を立てる。
29歳で県議会議員選挙出馬、「地盤、看板、カバン」の3要素はゼロ、その日から毎日駅頭に立ち、のぼりを手に持ち、ハンドマイクで演説を続ける。当初は、通行人が一瞥するだけであった。しかし、雨の日も、風の日も、雪の日も、毎日毎日駅頭にでることで、徐々に通行人から受け入れられるようになる。半年後の選挙で、18,707票を得て当選。
今までの選挙結果は、5勝1敗、その1敗は前々回の衆議院選挙で僅か105票差で負けたこと。その際、後悔を繰り返した。しかし、倫理法人会の講演会で素晴らしい話を聞き、立ち直り、今に至る。
素晴らしい話とは、朝顔の話である。「朝顔が見事に咲くための条件は何か?それは、咲く前の夜の暗闇と冷たい空気である。暗い夜、寒い夜があるからこそ、朝のほのかな太陽の暖かさがありがたい」
野田氏の素晴らしい点は、105票差での負け戦をバネに立ち直ったことである。
また、野田氏が5年間勉強した松下政経塾でのエッセイも紹介され、松下幸之助氏を偲ぶことが出来る話であった。それは、織田信長豊臣秀吉徳川家康の性格を現すとされる「ホトトギス」の話である。
織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かしてみようホトトギス
徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
野田氏が、松下先生ならどれですか?と聞くと松下幸之助氏は、間髪入れずに
「自分は、どれでもない。鳴かぬなら、それもまたよしホトトギス
野田氏は、その後、政権交代の必要性を説明された。自分が今まで自民党に投票しつつも、何かが違うと感じていたため、ストンと腹に落ちた。
政権交代とは国のお金の使い方を変えること、長期政権だとお金の使い方にゆがみが生じる。人には使命が与えられている。自分の使命は財政再建であると信じている。
政治家は話がうまいという一言で片付ける人もいる。確かに、政治家は話がうまい人が多いのは事実であろう。しかし、心に響くか否かは別問題である。
今日の野田氏の話は、話し方が上手い下手の評価など無関係に心に響いた。
忙しい中、朝の6時半から参加され、その後の朝食会でも遅くまで、倫理法人会会員と懇談してもらった。その中でも沢山気づくことも多く、素晴らしい一日のスタートが切れたと思う。
もうそろそろ、闇雲な自民党支持をやめようかなと決めた朝であった。